尊敬
今の職場の子どもたちがほんとに好き。
久しぶりにクラスに入っても、みんなわたしに笑顔を向けてくれる。
0歳児でも、こちらがじっくりコミニュケーション取ろうとすれば、必ず子どもたちの思っていることが分かる。
彼らと通じ合っている感じが好き。
一緒に笑ったり歌ったり踊ったり、保育園でみんなが楽しそうにしているのがよく分かる。
でも、それもこれもみんな、担任の正職の先生方のおかげだよね。
先生が現場の雰囲気を作り、園児を楽しませ、まとめ上げる。
お家は、子どもが自分らしくいられる場所だけれど、保育園は、子どもが子どもらしくいられる場所だ。
子どもらしく、好きなことを目一杯楽しんで、遊んで、仲間と喧嘩したり、仲良くしたりして、集団行動の中で成長していく。
そういうことを、先生は、さりげなく全部サポートしている。
わたしは補助員から学んでいる身なので、本当にそういったことは何もできない。
先生一つで、クラスの雰囲気は良くも悪くもなるんだよなぁ〜。
先生は、改めて、すごいなぁ。
と思った日。
井桁容子さん講演会
以前からファンだった、保育界では有名な、井桁容子先生。
その先生の講演に、機会に恵まれて参加できることになった。
井桁先生の保育のあり方を、改めてすごいと感じた。
子どもを管理したり、指導したり、叱ったりするという姿勢はまるでなく、保育者は、ただ子どもたちに共感し、側で見守り、育ちを助ける存在であるだけでいいんだと思えた。
喧嘩に関しても、自分の保育園勤務を通して、保育士が仲裁するのが当たり前のように思ってしまっているけど、先生は、それらもコミュニケーション能力や、失敗を学ぶ力を培うために重要なことなので、むやみに止める必要はないとおっしゃっていた。
すごく納得した。
それからは、今の保育の在り方が、大人にとって管理がしやすいようになっていると思えて仕方ない。
喧嘩しないように、怪我をしないように、みんなで仲良く温和に遊べるように…
すべて、大人にとって都合がいいからだ。
保育者にとっても、保護者にとっても。
さらに言えば、お散歩、給食、お昼寝などぴったりと時間で管理されることすら、子どもの意向を無視している気がしている。
一人一人のリズムや生活環境は違っているのだから、本当はもっときめ細やかな対応が必要なのかもしれない。
そうは言っても、保育園にいる以上、集団行動なので、もちろん基本的には仕方のないことではあるのだけれど…。
先生は、今の社会が、横にならえの社会で、感情がないがしろにされ、一人一人の個性を伸ばしにくいようになっているともおっしゃっていた。
その結果が、現代の若者を追い詰めて、引きこもりなどを生み出すと…。
その意味で、大人はすでに飼い慣らされてしまっているので、むしろ子どもを尊重して、個々の感情を大切に保育していくことが必要なのではないかと思った。
この世の未来を担う子どもたち。
みんなが個性を生かせる、自信が持てるような社会になってほしい。
そのためにできること。
保育者は、良い大人ではなく、子どもにとって嬉しい大人になること。
またわたしも、自分を見つめ直す良い機会になった。
わたしも井桁先生のような保育者を目指したいと思うようになった。
まだまだこれからである。
読み聞かせ
わたしは読み聞かせが下手である。
何度となくやっているけれど、どうも子どもの視線を惹きつけることができない。
たぶん、どこかで恥ずかしさをまだ捨てきれてないんだろうなぁ…。
担任を持っている先生の読み聞かせを見ていると、読み出した途端に子どもがパッとそっちを向くので、途端に自分の力不足を痛感して、少し切ない。
もっと心をオープンにして、大きな声で、抑揚をつけてお話ししよう!
と、心では思っているんだけれど、これが、どうにも難しいのである。
そりゃ、保育士試験の実技でも落ちるわけだ…。
今回は受かりたいけど、今のままでは全く受かる気がしない。
有難くも現場で練習できるのだから、わたしは恵まれていると言った方がいいかもしれない。
しかし!
わたしは最近気づいた。
歌に合わせた振り付けダンスだと、園児たちは、なぜだか分からないがわたしの方をじーーっと見てくれることに。
最初は驚いたけど、見てくれるので嬉しくなって、恥ずかしさもどこかへ行き、
歌のお姉さんばりに楽しくのびのび踊るようになった。
この差が何か分からないんだなー。
ま、単純に読み聞かせが下手というわけなんだけど。
実技試験にダンスもあればいいのに。
保育士配置基準
突然だけど、保育園には、国が定めている職員配置基準というものがある。
それによると、0歳児では、園児3人につき保育士は1人以上となっている。
ということは、クラスに6人いれば、保育士は2人いればまかなえるということ。
だけど、実際にはそうはいかない、ということを、働き始めて初めて知った。
0歳児でも、発達段階は色々だが、まだねんねの赤ちゃんだと、一人が抱っこで寝かしつけをしている間、もう一人は残り5人をいっぺんに見なくてはならない。
そのなかで、一人が例えばオムツ替えをすることになったら、残りの子どもは誰が見るのか?
誰かがミルクを吐き戻したりしたら、いったい誰が処理するのか?
他の子どもを放ったらかしにするわけにはいかない。
まだ頼りないので、どこで頭をぶつけるか分からないし、どこで怪我するか分からないので、常に目を配っておく必要がある。
食事の時も、一人で3人の食事がスムーズにうまく与えられるわけではなく、それぞれ一人がミルクを作り、飲ませ、一人が食事の介助、一人が片付けをしている間、もう片方が常に残りの5人をみなくてはいけないということは、想像以上に大変だ。
その他にも、吐き戻したり下痢をしたり、赤ちゃんには色々ある。
一歳児になると、一人で6人見ることになるが、これも、今度は噛みつき引っ掻きが出てきたり、やっぱりオムツ替え、おもらしなんかがあると、もう一人は残りの10数人をいっぺんに見なくてはならないという状況になる。
そういうことを考えると、配置基準は、もう一人ずつ増やしてもらってちょうどいいくらいだなぁ、と思う。
ちなみにわたしの勤めている園は、十分な数の保育士や補助員を配置してもらえているので、その点はとても有り難い。
それでもやっぱりやることは山積みで、保護者対応や製作、イベントの準備、お昼寝中の連絡帳や日誌などを時間に追われながら書いているのだから、保育士は本当に一日中フル稼働である。
不思議なこと。
昨日、とってもお腹が痛くて、職場へ行くのを躊躇していた。
理由が分からないけど、最近たまにやって来る腹痛。
どうしようか…どうしようか…と考えるうちに時間になってしまったので、とりあえず電車に乗って職場に行った。
少しお腹を抑えながら2階への階段を昇り、年少さんのクラスの前を通ると、一人の子が、保育士に抱かれているのが見えた。
その子と目が合い、わたしがにこっと微笑んだ瞬間、その男の子はいきなり、
「あっ、泣いてる!泣いてる!」
と言ったのだ。
抱っこをしていた保育士さんは、
「いやいや、泣いてない。泣いてない」
と言って、笑っていたが、
わたしは内心、心の中を覗かれたような気がして焦った。
確かに泣きそうなくらい痛かったから。
その子はその後も、
「泣いてる、泣いてる」
を繰り返して、わたしの気持ちを代弁(?)してくれた。
わたしはなぜかその後腹痛が少しおさまり、終業時間まで持ち堪えることができた。
なんとも不思議な話。
子どもにはやっぱり何か、見えるのかもしれない。
寝かしつけの時に考えること
前々から疑問だったけど、誰にも聞いたことがなかったこと。
というより、あまりにバカっぽい質問なので聞くのを躊躇していた。
それは、
保育者は、子どもを寝かしつける時に、何を考えながらしているのか?
ということ。
我ながらほんとに初歩的だなぁと思う。
でも、おんぶや抱っこをしている時、ふと目を覚ました子をトントンしている時、他の保育士さんは、特に何も考えていないように見える。
でも、わたしは何も考えずにそれらをすることができなかった。
無になろうと思うほど、何か余計なことを考えてしまって、そうすると寝かしつけがうまくいかず、子どもが泣き出してしまう。
いったいどういう気持ちで寝かしつけをすればいいのか?
自分の子どもでも悪戦苦闘したわたしなので、寝かしつけが下手なのは重々承知だから、余計にその真相(?)が知りたくなった。
でも、今日、天から降ってきたみたいに、突然分かった。
神様からの許可がやっと下りたのかもしれない。
それは、無になることでもなく、寝てくれと祈る気持ちでもなく、ただ、大丈夫だよ、
という気持ちで寝かしつけすればいいんだってこと。
半年以上経ってから気づくのは、我ながら情けない。
しかし、何でも頭で考えてしまうわたしには、こんなことも分からないのである。
そんなこんなで、今日の寝かしつけは、すべて上手くいった。
気持ちひとつでこんなに変わるなんて、子どもはやっぱり保育者の思いを無意識に受け取っているとしか思えない。
小さなことを楽しむ気持ち
職場復帰して、体調も回復してきて、清々しい気持ち。
赤ちゃんたちと遊んでいて、みんなの成長ぶりに驚くことばかり。
みんな1歳を迎えて、いきなりスタスタと歩き出す子や、おしゃべりを始める子もいるし、自己主張が出てきて喧嘩を始めたり、手が出てきたり…
人格って、こんなに小さい時からはっきりと表れてくるんだなぁ…、と、改めて感慨深い気持ちになった。
それでもみんな良く笑って、保育園を楽しんでいるみたい。
わたしも大分慣れてきたようで、赤ちゃんとの遊び方のコツが、だんだん掴めてくるようになってきた。
それは、どんなに小さいことでも、どんなに大人からするとつまらないと思えるようなことでも、子ども目線で楽しむこと。
子どもの気持ちになってみれば、虫ひとつとっても、お花ひとつとっても、新しくて刺激的な発見である。
葉っぱが風に揺れるだけで、笑う子もいる。
追いかけるだけで、興奮して止まらない子もいる。
「楽しい」の感度が高いというべきかな?
ハードルが低いというべきかな?
保育者は、子どもに見習って、そんな小さなことを楽しむ気持ちが必要だ。
子どもを見ていると、大人になるにつれて、だんだんと、心ときめくものや、面白がる気持ちが減ってくるんだなぁ〜、と思ってしまう。