気難しい子
気難しい子がいる。
そこまで繊細で、気難しい子どもがいたのかと思うほど。
遊びも活動も、全部自分が主体にならないと、すぐに癇癪を起こし、ひっくり返る。
じっとしていられない。常に逃げ出し走り回る。
気に入らない先生には、噛みつき、頭突き、叩きまくる。
他児が近づいても、すぐに引っ掻く。
他の先生たちの中には、そんなことをものともせずに、上手く触れ合っている先生もいる。
でもわたしがその先生の真似をしてみても、やはり上手くいくものではない。
場が白けておしまい、みたいな雰囲気になってしまう。
正直、その子が求めているのが何なのか、全く掴めていないのだ。
どうすれば笑ってもらえるのか、安心してもらえるのか分からずに、いつも見当違いなことをして、余計にその子を怒らせる。
でも、こちらもクラスに入ると、いつもその子のことを避けるわけにはいかないので、毎回、ものすごく困る。
まさに、暗中模索状態。
その子のことを理解しようと、初めは努めていた。
でも、理解して共感しようとしても、事態は悪化するばかり。
そのうちに諦めて、わたしは何にもしなくなった。笑
今は、ただ、波立たせずに、空気のような存在になって、その子の周りをうろついている。笑
そのうちに、何か掴めるかな。
あまり期待はせずに、淡々と、何度もチャレンジしていくしかない。
シロツメクサ
保育が上手くいかない。
自分の思い描くような保育ができない。
ここ最近、そんなことでずっと悩んでいた。
でも、昨日、そんなことを覆してくれるような出来事があった。
年少の女の子が、わたしに、シロツメクサで可愛い指輪を作ってくれたのだ。
まだおぼつかない指先で、何度も失敗しながら、でも諦めずに、わたしの小指と人差し指に指輪をはめてくれた。
その時、わたしは、そうだ、こういうことが、保育なのだった、と思い出したのだ。
子どもたちの純粋な優しさを目にすること。
心で感じ取ること。
それが、保育の醍醐味なのだった、と。
なんだかずっと忘れていた。
技術ばかりを追いかけて、違う誰かになろうとしていた。
周りの上手な先生を見て、ため息ばかりついていた。
でも、やっぱり、わたしはわたしでしかいられない。
そのまんまを、出していくしかない。
こんなわたしでも、受け入れてくれる子どもたち。
わたしはこの中で、生きていてもいいんだ、と。
大袈裟なようだけど、沈んでいたわたしにとってはそれくらい、意味のある出来事だった。
毎日、子どもたちに悩んでばかりだけど、でも、救ってくれるのも、やっぱり子どもたち以外にはない。
子どもたちと共に暮らし、友達みたいになればいいのかも。
どうやらわたしにはそういうやり方しかできないみたいだ。
また、自分を発見した日。
Aちゃん、ありがとう。
しつけ
昨日の一時預かりの新規登録面談でのこと。
1歳児のその子は、お母さんとおばあちゃんに連れられてきた。
驚いたのは、そのおばあちゃん。
孫が園の物を触ったり、走り回ったりするごとにイチイチ騒ぎ立て、驚くことに、頻繁にその子の頭をペンペン叩く。
口癖は、
「ほんとにこの子は、躾がなってなくて、すみません」。
ペコペコとお辞儀をしながらそう言う。
耳を疑った。
今時、こんなおばあちゃんいるのか…。
1歳児なんて、落ち着きがなくて当たり前。
ましてこの子は、保育園のようなところに来たことがなかったそうなのだから、目に映るもの全てが新しく、たくさんのおもちゃやお友達など、新鮮で興味深かったに違いない。
追いかけ回すごとに、おばあちゃんの声はだんだん大きくなり、次第に叫び声に近くなった。
「もーっ、ほんとにこの子は、何でこんなに落ち着きがないのかしら」
ブツブツと言っては孫の手や頭を叩く。
その間、お母さんは適当に笑って相槌を打ちながら、黙々と書類を書いていた。
もう、言われ慣れているのだろうか。
その子の必要以上のうろちょろ具合も、もしかしたら、おばあちゃんが一因かもしれないなぁと思った。
ずっと小言を聞いていたら、誰だって落ち着かず、おかしくなるというものだ。
子どもは常に親の言うことを聞いて、大人しく座っていればいいというのだろうか。
迷惑がかからないようにと配慮して下さっているのは分かるが、最後は、おばあちゃんの声の方が大きく、その奇声が園中に響き渡った…。
職員全員がおそらく引いたに違いない。
でも、相談されているわけでもないのに、下手なことは言えないし…。
「昔ながらの躾」の典型的なタイプを、改めて恐ろしいと感じてしまった。
これからここに何度も通うであろうおばあちゃん。
どういうアプローチで行くか。
行く末が気になるところである。
笑顔にするお仕事
ちょうど数ヶ月前。
年少さんで、新入園児として入ってきた子。
とにかく、お母さんから離れられなくて、ずっとパニックを起こして泣き通し、職員みんなが手をかけて、長い間かかって、ようやく最近、慣れてくれた子がいる。
笑うと本当に可愛くて、おしゃべりも上手くはできないけど、たどたどしくて、いつも真っ直ぐな目をしている子。
その子のお母さんは、入ってきた時は、いつも不安げで、表情が固く、マスクを手放さなかった。
こちらの問いかけにも、素っ気ない感じで、今思えば、きっと、こちらの様子を伺ってたのかな…。
それが、その子の様子が変わってくるにつれて、表情に柔らかさが出てくるにつれて、何よりも変わったのが、お母さんだと思った。
その子が、自分の作った作品を、お母さんに見せた時の顔が忘れられない。
花が咲いたような、パッとした明るい笑顔。
我が子の成長を心から喜んで、我が子のことを慈しむ、とても素敵な笑顔だった。
その顔を初めて見た時、
「あぁ、このお母さんは、いつも、苦しんできたんだなぁ」
と思った。
その時、保育というのは、とても素敵な仕事のように思えた。
子どもたちも、お母さんたちのことも、笑顔にできるお仕事。
そんな仕事に、微力ながらも携わることができて、とても幸せだと感じた。
お母さんたちは、もちろんお父さんたちも、みんな、子育てで頑張っている。
そんな親子を支えていけるような今の仕事は、やっぱり、とても意味のある、素敵なものだと思った。
「気になる子と言わない保育」
「『気になる子』と言わない保育」を読んだ。
目から鱗。
子どもの困った言動への対応が、保育者目線ではなく、子どもからの視点ですべて解決できるように書かれている。
一般的な保育書では、環境を整えたり、子どもを諭したりして、どうその子を「動かすか」ということに焦点を置きがちだが、この本では、その子がどうやったら「動く気になるか」ということ。
そしてそのきっかけになるものは、「先生」や「大人」ではなく、「集団」だと説いている。
次の遊びの切り替えが難しい子でも、偏食の子でも、手が出てしまう子でも、子どもは、他の子どもたちを見て、
「自分もやってみよう」
「真似してみよう」
と思うものだと。
確かに…。
これまでは、保育者が子どもをどう動かすか、ということばかりに意識がいってしまっていたけれど、保育園は、みんなで作っていくものだから、他の子どもたちとも一緒に、みんなで助け合って、意見を言い合って、学び合っていこうという考え方でやっていけば、クラスは逆にまとまっていくものかもしれない。
「気になる子」や、「発達障害の子」「グレーゾーンの子」は、ともすれば、みんなと違うアプローチで、みんなと違う接し方をされがちだ。
だけど、それでは本人も、周りも、違和感が拭えないだろう。
「どうして僕だけ?」
「どうしてあの子だけ(特別な対応なの)?」
のような。
これは、インクルーシブ教育に通じる考え方だなぁと思った。
子どもを変えることはできない。
子ども自らが変わるのを待つ。
だから、みんなで助け合っていこう。
だって、子どもは、大人の思ったとおりなんかにはならない。
大人よりも、もっともっと偉大な可能性を秘めた存在であり、子ども自らが成長する時に、その子の「個」は光ってくるものだと思う。
それをクラスで作っていけたら、それはとても素敵なことに違いないと思った。
「気になる子」と言わない保育―こんなときどうする?考え方と手立て (保育実践力アップシリーズ)
- 作者: 赤木和重,岡村由紀子
- 出版社/メーカー: ひとなる書房
- 発売日: 2013/08/01
- メディア: 単行本
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子どもに言うことを聞いてもらうには
子どもに、言うことを聞いてもらうのは本当に大変だ。
子どもにだって意思があるから、大人の都合ばかり押し付ける訳にはいかない。
でも、保育園では、時間に沿って一日の予定をこなしていかないと、だんだんと困ったことになる。
保護者のお迎えの時間に、ご飯やお昼寝、オムツ替えやお着替えなどを何も終えていない状態だと大問題だ。
そのためには、一つ一つ、子ども対大人で、折り合いをつけていかなくてはならない。
それが毎日、毎時間、毎分。
先生に懐いてくれる子だと、これがとてもスムーズにいく。
その反対で、懐かない子どもだと、何もかもが上手くいかない。
ではどうすれば懐いてくれるか?
色々考えた末に、子どもの言うことを、先に、きちんと聞くことかもしれないなぁ、と考えた。
子どもの言い分を普段からなるべく聞いていれば、子どもは、多少なりとも聞く耳を持ってくれるのを感じるからだ。
何も聞かずに、子どもの気持ちを想像もせずに、ただ、大人の都合でばかり子どもを動かしていることは、保育とは言わないだろう。
子どもの言い分と、大人の言い分を、半分ずつ、共有していく。
それが保育であり、一緒に生活していくということだろう。
言うことを聞かない子を、どう言うことを聞かせるか?
ではなく、
保育者が、どれだけ言うことを聞いてあげているか?
保育も、育児も同じ。
心のつながりがないと、とてもつまらないものになる。
子どもたちの笑顔を守っていくために、大切なことだと思う。
家庭と仕事
仕事から帰って来て、更に疲れていたりして体調が悪いと、我が子に優しくできない。
優しくしたいのに、できない。
仕事なら子どもたちが何をしていても許せるのに、家に帰って来ると、我が子が癪に触るようなことばかりしてくるように思えてきて、ついには堪忍袋の緒が切れる。
親も子も、何もいいことない。
子育てって本当に大変だと常々思う。
お母さんは1人しかいないから。
お母さんは常に、時間と忙しさに追い詰められている。
きっと子どもたちも、そのお母さんたちも、家の中での顔と、保育園での顔とは違うんだろうな。
もっともっと、子どもに愛情が伝わるにはどうしたらいいかな。
気がつくと怒った顔で、怒った口調ばかりになってしまう自分をなんとかしたい。