対応に困る
職場で、いつも対応に困っている子がいる。
すぐに叩いてくる子。しかも、真顔で。
目にも表情はなく、笑ってもなく、怒っているわけでもない。
何かがあって叩いてくるというわけではなく、そこにただ気に入らない人がいるから叩く、というような感じ。
何か原因が分かっていれば、こちらも気持ちを代弁したり、共感したり、何か手立てがあるのだが、脈絡なくやってくるので、こちらもびっくりして固まってしまう。
ネットで軽く調べてみると、きちんと「叩くことはダメ」ということを教えなければならない、と出てくるが、それはもちろんそうだろう。
そして、叩かれる大人はなめられている、ということも書かれてあったが、それもそうかもしれない。
だが、この子の場合、「叩いてはダメ」だということを伝えても、それが全く響いている様子がないのだ。
何分後かには、平気で同じことを同じ人にやっている。
それでも教え続けることが大切だろうか?
まだ言葉があまり出ない子なので、どうして叩くのかを自分から説明するのはまず無理だろう。
もしかしたら、園の外などで、誰かに叩かれている反動かもしれない。
そんな子を、鬼の形相で真剣に怒ることが、果たしてその子のためになるのだろうか??
そんなことをずっと考え続けている。
楽しいことをたくさん共有していけば、何か変わるかもしれないな。
と思って、どこかその子の顔色を伺いながら、接している今日この頃である。
人気の保育士
勤務先の保育園に、男性保育士が新たに就任してきた。
新人らしく、何か指示が出るまでまったく動かない。
明らかに先輩保育士が困っている様子でも、指示を明確にしないと動かない。
言ってしまえば、そう。
ぼーっと突っ立っているだけ。
でも、この保育士のすごいところは、放っておいても子どもたちが寄ってくるところ。
大人でもそう思うほど、なんだか寄りたくなる雰囲気を全身に醸し出しているのだ。
特に何もしない。笑顔を振りまいている訳でもない。
でも、この保育士が入ってきてから、この保育士の周りには、常に子どもたちでいっぱい。
それを見て思う。
保育士とは、人間力なんだなぁ、と。
保育だからといって、特に何も専門的な技術などは要らないのだ。
子どもたちは、目の前の人が、自分の味方になってくれるかどうか、安心できるかどうかを、瞬時で見抜く力を持っている。
だから保育に正解はない。
状況によって、いくらでも変わる。
だから、保育士たちは、知識は必要だが、技術力よりも、人間力を磨くことに精を出した方がいいかもしれない。
保育は、教育とは違う。
保育とは、子どもと共に過ごす、生活そのものだということを、この保育士を見ていてしみじみ思う。
夜間もやってる保育園
映画、「夜間もやってる保育園」を観に行った。
夜間保育園は、多様な家庭環境に合わせて、夜間も子どもを預かる保育園のことで、映画では主に、新宿の大久保にある「エイビイシイ保育園」が舞台となっている。
こちらの園長が本当に型破りな方で、ご自分の信念で、完全オーガニックの給食や、多様な発達の子どもたちへの療育プログラム、学童保育など、色々なことに挑戦し、将来的には高齢者のための施設と併設することも考えているという。
しかも、認可にならなければ、無認可で補助金がなくても厭わないという、完全に利他的な聖母マリア的(?)存在。
この人のモチベーションはどこから来るのだろう・・・と思うと、それはご自分の家庭にも関係しているようで、本当に興味深い。
でも、ちょっと考えれば、東京など特に、夜に空いている店舗はたくさんあり、夜に働いている人はざらにいるのだから、夜子どもを預かる必要性があるのは当然である。
単に今は、夜預けるところがないから、親、特に母親は、夜に働きに出るという選択肢がないだけ。
そして、それでもどうしても夜に働かざるを得ない親、ひとり親や外国人家庭、飲食店を営む家庭などが、この保育園の受け皿となっている。
私は最初、この映画は、もしかすると、夜間も子どもを保育園に預けるということに抵抗のある人の反感を買うかもしれないなと思った。
朝から晩まで子どもを預けて、親と全然一緒にいられない子どもたちのことを考えると、やはりそうだろう。
でも、この片野園長は、常に同じ姿勢で言い続ける。
「夜中に放置される子どもが1人でもいる限り、夜間保育園はやる」
確かに、要は、社会の構造を根本的に変えないと、子どもが保育されないという現実は変わらないわけで、それゆえ夜間保育園を批判しても的外れなだけだなと思った。
そして、親と長い時間離れることが、親子の関係を希薄にするんじゃないかという問いに対しては、「他人がいくら、好き、と言ったって、子どもにとって親は親。特別な存在」だと言い、保育士は、親ができないことをフォローする存在で、親を支援するための仕事だと言う。
そう言った一貫した姿勢が、片野園長、そして、この映画の魅力だなと思った。
そしてその愛情深さは、やはり園全体に感じられるもので、他のスタッフを見ても、みな子どもやその親をとても大切に思っているんだな、ということが良く感じられる。
特に、この保育園の、チーフ保育士の方の言葉は、とても心に残るものだった。
「実際私も子育てを経験して、理想は頭にあってもやはりできないことが多くあります。でもやっぱり目の前にいる子どもに愛情を注いで、どんなに時間がなくても、大好きだよ、愛してるよと言葉できちんと伝えることが一番大切なんだと学びました。子どもと経験を共有しながら、ママも失敗することがあるけど一緒に頑張っていこうと・・・」
この一言は、私自身の保育に対する姿勢を見直させられたもので、ここから、保育者も一人の人間として、まだまだ子どもと一緒にお互い学んでいける存在なのだと教えられた気がした。
「夜間もやってる保育園」、社会問題を取り上げた映画のようで、保育そのもののあり方も提示してくれたような、とても深くて優しいドキュメンタリー映画でした。
ABAセミナー
先日、ABAセミナーというものに足を運ぶ機会があった。
ABAとは、”Applied Behavior Analysis”の略で、簡単に言ってしまえば、子どもが起こす問題の原因を子どもに求めるのではなく、子どもを取り巻く環境に求めることで解決を図るものであるらしい。
自閉症などを始め、障害を持つ子やそうでない子どもにも言動を変える、という点で効果的なセラピーの一つであるそう。
言葉が難しいので以前は敬遠していたが、アメリカでは療育のなかでも最善の結果を出すと言われており、保険も下りるほど認められているらしいとのことで、興味を持って聞きに行くことにした。
結論は・・・
本当にすべての子に対して効果的なのか疑問・・・、と正直思ってしまった。
講師曰く、ABAは、家族がより安全で幸せな生活を営むことができるように、社会的に困らないことを目的として行われるとのこと。
なので、生活に必要とされる基本の動作から、遊びや学習まで、あらゆることに適用できる。
言い換えれば、訓練の場は一日中、どこにでもチャンスが転がっており、子どもは四六時中、半ば調教に近い形で療育を受ける。
基本的には、例えば、
「おいで」
というと、来て椅子に座るように仕向ける。
できないと、何度も何度もできるまで繰り返し。
それから、できた時は、
「いっていいよ」
と言ってから行かせる。
この一連の流れを何度も繰り返すことで、行動を定着させていく。
でも、わたしはここからいちいちつまづく。
どんな子どもでも、「おいで」と言われて嫌な時もあるのでは?
そんな気分でない時もあるのでは??
しかしABAではそういうことは関係なく、そういう時でも構わず、ぐずったり、泣いたりする行動はひたすら無視して、来るまで繰り返しやり続ける。
その行為が、なんだか違和感を覚えた。
ABAに関して、「主体性を否定する」という意見があるらしいが、まさにそういうことかもしれない。
しかし、きっとこのやり方が合っている子どもはいるだろうと思う。
たとえば自閉症の子に関しては、見守るだけでは成長しないということはやはり想像できるので、適切なやり方で行えばきっと成果があるように思う。
そうでない子には、問題行動を起こした際に、ひたすら消去=無視するのではなく、できない思いを受け止めてあげればいいのではないかと思った。
そのステップ一つで、子どものやる気が変わってくることがあるような気がする。
その子その子に応じたやり方でないと、難しいことではありそうだけど…。
普段からたくさん愛情をかけることで、その部分はカバーできるのだから大丈夫なのかな?
それから納得できたのは、できないことにばかり注目するのではなく、日常の生活の中でできるスキルを増やしていくと、他のできなかったこともできるようになり、全体のレベルが上がるというもので、これは自分の子を見ていても本当にそうだな、と思った。
きっと身体的な成長とともに、自分に自信もつくのだろう。
ABAは一度講座を聞きに行ったのみで、まだまだ理解していない部分が多いので、これからもっと知識を増やして保育にも応用できればいいなぁ、と思った。
土曜保育
職場でのこと。
先日、用事があるからとのことで、土曜保育を利用したいという保護者から電話がかかってきた。
しかし、園の方針では、土曜保育は原則、両親とも仕事がある家庭に限られるという。
これを聞いて、わたしは軽いカルチャーショックを受けた。
認可保育園であっても、そうなのか??
平日フルタイムで頑張っている家庭が、ちょっと私用などで子どもをみてもらいたい時に、いつもの慣れた園では預かってもらえないというこのシステム。
そうすると、この両親は、どこか別のところを探さなくてはいけなくなる。
きっとこちらに電話をかけてきているくらいだから、祖父母などのサポートはないのかもしれない。
そうなると、ファミリーサポートやベビーシッター、他園の休日保育など、が候補となる。
どちらにせよ、金銭的にも精神的にも、親子共に負担が大きくなるのは目に見える。
ちなみに東京都の認証保育園では、曜日や時間は前もって契約しており、それ以外の時間帯や曜日では、たとえ仕事での利用であっても、追加料金を払わなければ利用できない。
認証保育園では、1時間700円もの料金を設定しているところも珍しくない。
1日8時間預けたとして、5000円超だ。
もちろん、預けないという選択もあるが、今度は両親の休む暇がない。
まさに、仕事か育児か。
園側は、どうして渋るのか?
理由は、職員を最低限しか配置していないから。イレギュラーな家庭はなるべく遠慮してほしいとのことだ。
解決策として、一番は、もう少し園のキャパシティが増えるといいのだけれど、それは今の状況では難しいということなのだろう。
それじゃあ少子化は改善されないはずだよね・・・、と心の奥の方で思う。
前々からずっとひっかかっている事柄ではあるが、認可、認証ともに保育園に子どもを預けている親は、どうして両親どちらかが家にいるときは、なるべく家で子どもをみるように促すのか。
それでは両親が休む暇がなくなってしまうのでは?
働く親は、ひとときも休むな、とでも言うのだろうか?
一方、幼稚園に行っている家庭は、親の用事やリフレッシュなど、理由は問わず、保育園の一時預かりも利用している子がたくさんいる(もちろん有料、基本は平日なところが多いが)。
気軽に預けられる先として、そういった場所をいくつも登録している家庭も多い。
それでは、保育園に子どもを預けている両親は、リフレッシュしてはいけないのだろうか。
小さい子を持つ家庭には、もっともっと支援が多く必要なはずだ。
ひとり親家庭なら、尚更である。
昼も夜も、働きに出なければいけない親も、たくさんいる。
いつでも安心して子どもをみてもらえるような仕組みをもっと構築してほしい。
以前に、どこかの園長がこう言っていた。
「うちは延長は19時まで。それ以降は、子どもにも負担になるから預からないことにしている。
本来、会社はそうあるべきで、そういう園が増えることで、世の中の働き過ぎの傾向を見直すことになればいい」
と。
正直言って、そんなことで会社の仕組みが変わるならとっくの昔に変わっているだろうと思った。
けれど実際には、保育園の閉園時間を気にしながら悪戦苦闘している保護者も多くいる。
休日に子どもを預かってもらえるところがなくて、右往左往している家庭もたくさん目にしてきた。
いつだって安心して子どもを預けられる環境が、当たり前のようにあればいい。
休日や夜間のサービスをもっと充実させて欲しい。
親がゆとりを持てることは、必ず子どもにとってもいいはずだ。
みんなで子どもや保護者をサポートしようと思う気持ちがなければ、なかなか難しい問題だとは思うけれど。
汐見稔幸先生セミナー
先日、またまた縁あって、「すくすく子育て」でおなじみの汐見稔幸先生のセミナーへ出向くことができた。
生の汐見先生、そして、保育士としての初めての保育セミナーということで、朝から緊張とワクワクでいっぱいな私。
会場に着くと、溢れんばかりの人で驚いた。
講義が始まってみると、汐見先生のお話の上手さに惚れ惚れ。
あれほどお年を召しているように見えて(失礼!)、とてもエネルギッシュで、冗談を交えながら長時間お話するその姿からは、元気のパワーが溢れているように見えました。
さて、今回のテーマは、
(保育の)新指針、新要領を読み説く
〜21世紀にふさわしい保育の丹念な模索〜
というもの。
新指針の大きな柱は、「保育」を「教育」の場として位置づける、ということだろう。
今まで「保育園」は、保護者がいない間に預かる場所で、「幼稚園」は、教育の場、としてなんとなく区分けされていた違いが、今回からはっきりとその線引きを失くす方向で改定されている。
そしてその「教育」が、認知能力と非認知能力、どちらもが大事とされる点を見逃してはならないと思う。
つまり、保育園でも、幼稚園でも、子どもが主体となる遊びを続けながら、そこから能動的に学ぶことを大事にしていこう、というのが狙いのようである。
いわゆる「非認知能力」は、乳幼児の頃から培うことができ、それが早ければ早いほど、その子の一生を左右するものとなる。
保育園や幼稚園は、その能力を開花させる絶好の場だ。
これからの保育の視点が、常に、乳幼児の発達を促すようなものになるかどうか、を問うていかなければならない。
ただ遊ばせるだけではなく、この子がその遊びからどういう能力や経験を身につけたかを観察し、受け止め、見守っていくこと。
それらが必要とされる。
未就学児の大事な時期に、子どもたちを導いていくべき存在になり、保育の専門性は、自ずと高まるだろう。
地球の未来は、保育者にかかっていると言っても過言ではない(かもしれない)。
蚊に刺されても気にする保育
保育に携わるようになって一番びっくりしたことは、保育者が、子どもを安全無事に保護者に引き渡すことをとても重要に考えていること。
そんなの当たり前でしょ、と言われればそうなのだが、ちょっと蚊に刺されただけでも申し訳なく思っている保育者を見て、わたしはなんだかモンスターペアレンツの存在を裏に感じて恐くなった。
わたしのそれまでの考えでは、
「子どもなのだから、あちこち遊び回っているうちに怪我はするし、喧嘩して傷は作るし、蚊に刺されるのなんて当たり前」
くらいに思っていたのだから、それはなんだかカルチャーショックだった。
特に小さい子は、段差に昇っただけでも注意され、危ないと怒られて、体をひょいと持ち上げられて降ろされる。
滑り台なんかでも、下から登ると禁止だし、順番だって守らなくちゃいけない。
玩具は交代で遊ばなくてはいけないし、部屋では危ないので走り回っちゃダメ。
なんかなぁ・・・
安全無事は当たり前。
当たり前なのだけれど、なんだか苦しいのはわたしだけ??
わたしだったら、段差で転ぼうが、友達と喧嘩して傷を作ろうが、思いっきり自分のやりたいように遊びたい。
でも、それが今勤めている保育では叶わないような気がしている。
自分の子だったら、少なくともわたしはなんとも言わない。
(前に数十箇所ふくらはぎを刺されていた時は、驚いてさすがに保育園に聞いたことはあるが…)
園児たちをもっと自由に、のびのびとやらせたいなぁ〜、と思うのは、なんだか甘い考えのようである。
それもこれも、厳しい親が増えてきたからなのかなぁ〜。。