保育園生活

無資格・未経験の主婦が一念発起して保育業界に飛び込んでみた話。保育や園児に関する考察と、子どもたちへの愛を綴ります。

シロツメクサ

保育が上手くいかない。

 

自分の思い描くような保育ができない。

 

ここ最近、そんなことでずっと悩んでいた。

 

でも、昨日、そんなことを覆してくれるような出来事があった。

 

年少の女の子が、わたしに、シロツメクサで可愛い指輪を作ってくれたのだ。

 

まだおぼつかない指先で、何度も失敗しながら、でも諦めずに、わたしの小指と人差し指に指輪をはめてくれた。

 

その時、わたしは、そうだ、こういうことが、保育なのだった、と思い出したのだ。

 

子どもたちの純粋な優しさを目にすること。

心で感じ取ること。

 

それが、保育の醍醐味なのだった、と。

 

なんだかずっと忘れていた。

 

技術ばかりを追いかけて、違う誰かになろうとしていた。

 

周りの上手な先生を見て、ため息ばかりついていた。

 

でも、やっぱり、わたしはわたしでしかいられない。

 

そのまんまを、出していくしかない。

 

 

こんなわたしでも、受け入れてくれる子どもたち。

 

わたしはこの中で、生きていてもいいんだ、と。

 

大袈裟なようだけど、沈んでいたわたしにとってはそれくらい、意味のある出来事だった。

 

毎日、子どもたちに悩んでばかりだけど、でも、救ってくれるのも、やっぱり子どもたち以外にはない。

 

子どもたちと共に暮らし、友達みたいになればいいのかも。

 

どうやらわたしにはそういうやり方しかできないみたいだ。

 

また、自分を発見した日。

 

Aちゃん、ありがとう。

 

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しつけ

昨日の一時預かりの新規登録面談でのこと。

 

1歳児のその子は、お母さんとおばあちゃんに連れられてきた。

 

驚いたのは、そのおばあちゃん。

 

孫が園の物を触ったり、走り回ったりするごとにイチイチ騒ぎ立て、驚くことに、頻繁にその子の頭をペンペン叩く。

 

口癖は、
「ほんとにこの子は、躾がなってなくて、すみません」。

 

ペコペコとお辞儀をしながらそう言う。

 

耳を疑った。

 

今時、こんなおばあちゃんいるのか…。

 

1歳児なんて、落ち着きがなくて当たり前。

 

ましてこの子は、保育園のようなところに来たことがなかったそうなのだから、目に映るもの全てが新しく、たくさんのおもちゃやお友達など、新鮮で興味深かったに違いない。

 

追いかけ回すごとに、おばあちゃんの声はだんだん大きくなり、次第に叫び声に近くなった。

 

「もーっ、ほんとにこの子は、何でこんなに落ち着きがないのかしら」

 

ブツブツと言っては孫の手や頭を叩く。

 

その間、お母さんは適当に笑って相槌を打ちながら、黙々と書類を書いていた。

 

もう、言われ慣れているのだろうか。

 

その子の必要以上のうろちょろ具合も、もしかしたら、おばあちゃんが一因かもしれないなぁと思った。

 

ずっと小言を聞いていたら、誰だって落ち着かず、おかしくなるというものだ。

 

子どもは常に親の言うことを聞いて、大人しく座っていればいいというのだろうか。

 

迷惑がかからないようにと配慮して下さっているのは分かるが、最後は、おばあちゃんの声の方が大きく、その奇声が園中に響き渡った…。

 

職員全員がおそらく引いたに違いない。

 

でも、相談されているわけでもないのに、下手なことは言えないし…。

 

「昔ながらの躾」の典型的なタイプを、改めて恐ろしいと感じてしまった。

 

これからここに何度も通うであろうおばあちゃん。

 

どういうアプローチで行くか。

 

行く末が気になるところである。

 

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笑顔にするお仕事

ちょうど数ヶ月前。

 

年少さんで、新入園児として入ってきた子。

 

とにかく、お母さんから離れられなくて、ずっとパニックを起こして泣き通し、職員みんなが手をかけて、長い間かかって、ようやく最近、慣れてくれた子がいる。

 

笑うと本当に可愛くて、おしゃべりも上手くはできないけど、たどたどしくて、いつも真っ直ぐな目をしている子。

 

その子のお母さんは、入ってきた時は、いつも不安げで、表情が固く、マスクを手放さなかった。

 

こちらの問いかけにも、素っ気ない感じで、今思えば、きっと、こちらの様子を伺ってたのかな…。

 

それが、その子の様子が変わってくるにつれて、表情に柔らかさが出てくるにつれて、何よりも変わったのが、お母さんだと思った。

 

その子が、自分の作った作品を、お母さんに見せた時の顔が忘れられない。

 

花が咲いたような、パッとした明るい笑顔。

 

我が子の成長を心から喜んで、我が子のことを慈しむ、とても素敵な笑顔だった。

 

その顔を初めて見た時、

「あぁ、このお母さんは、いつも、苦しんできたんだなぁ」

と思った。

 

その時、保育というのは、とても素敵な仕事のように思えた。

 

子どもたちも、お母さんたちのことも、笑顔にできるお仕事。

 

そんな仕事に、微力ながらも携わることができて、とても幸せだと感じた。

 

お母さんたちは、もちろんお父さんたちも、みんな、子育てで頑張っている。

 

そんな親子を支えていけるような今の仕事は、やっぱり、とても意味のある、素敵なものだと思った。

 

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「気になる子と言わない保育」

「『気になる子』と言わない保育」を読んだ。

 

目から鱗

 

子どもの困った言動への対応が、保育者目線ではなく、子どもからの視点ですべて解決できるように書かれている。

 

一般的な保育書では、環境を整えたり、子どもを諭したりして、どうその子を「動かすか」ということに焦点を置きがちだが、この本では、その子がどうやったら「動く気になるか」ということ。

 

そしてそのきっかけになるものは、「先生」や「大人」ではなく、「集団」だと説いている。

 

次の遊びの切り替えが難しい子でも、偏食の子でも、手が出てしまう子でも、子どもは、他の子どもたちを見て、
「自分もやってみよう」
「真似してみよう」
と思うものだと。

 

確かに…。

 

これまでは、保育者が子どもをどう動かすか、ということばかりに意識がいってしまっていたけれど、保育園は、みんなで作っていくものだから、他の子どもたちとも一緒に、みんなで助け合って、意見を言い合って、学び合っていこうという考え方でやっていけば、クラスは逆にまとまっていくものかもしれない。

 

「気になる子」や、「発達障害の子」「グレーゾーンの子」は、ともすれば、みんなと違うアプローチで、みんなと違う接し方をされがちだ。

 

だけど、それでは本人も、周りも、違和感が拭えないだろう。

 

「どうして僕だけ?」
「どうしてあの子だけ(特別な対応なの)?」
のような。

 

これは、インクルーシブ教育に通じる考え方だなぁと思った。

 

子どもを変えることはできない。
子ども自らが変わるのを待つ。

だから、みんなで助け合っていこう。

 

だって、子どもは、大人の思ったとおりなんかにはならない。

 

大人よりも、もっともっと偉大な可能性を秘めた存在であり、子ども自らが成長する時に、その子の「個」は光ってくるものだと思う。

 

それをクラスで作っていけたら、それはとても素敵なことに違いないと思った。

 

 「気になる子」と言わない保育―こんなときどうする?考え方と手立て (保育実践力アップシリーズ)

「気になる子」と言わない保育―こんなときどうする?考え方と手立て (保育実践力アップシリーズ)

 

 

 

 

子どもに言うことを聞いてもらうには

子どもに、言うことを聞いてもらうのは本当に大変だ。

 

子どもにだって意思があるから、大人の都合ばかり押し付ける訳にはいかない。

 

でも、保育園では、時間に沿って一日の予定をこなしていかないと、だんだんと困ったことになる。

 

保護者のお迎えの時間に、ご飯やお昼寝、オムツ替えやお着替えなどを何も終えていない状態だと大問題だ。

 

そのためには、一つ一つ、子ども対大人で、折り合いをつけていかなくてはならない。

 

それが毎日、毎時間、毎分。

 

先生に懐いてくれる子だと、これがとてもスムーズにいく。

 

その反対で、懐かない子どもだと、何もかもが上手くいかない。

 

ではどうすれば懐いてくれるか?

 

色々考えた末に、子どもの言うことを、先に、きちんと聞くことかもしれないなぁ、と考えた。

 

子どもの言い分を普段からなるべく聞いていれば、子どもは、多少なりとも聞く耳を持ってくれるのを感じるからだ。

 

何も聞かずに、子どもの気持ちを想像もせずに、ただ、大人の都合でばかり子どもを動かしていることは、保育とは言わないだろう。

 

子どもの言い分と、大人の言い分を、半分ずつ、共有していく。

 

それが保育であり、一緒に生活していくということだろう。

 

言うことを聞かない子を、どう言うことを聞かせるか?

ではなく、

保育者が、どれだけ言うことを聞いてあげているか?

 

保育も、育児も同じ。

 

心のつながりがないと、とてもつまらないものになる。

 

子どもたちの笑顔を守っていくために、大切なことだと思う。

 

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家庭と仕事

仕事から帰って来て、更に疲れていたりして体調が悪いと、我が子に優しくできない。

 

優しくしたいのに、できない。

 

仕事なら子どもたちが何をしていても許せるのに、家に帰って来ると、我が子が癪に触るようなことばかりしてくるように思えてきて、ついには堪忍袋の緒が切れる。

 

親も子も、何もいいことない。

 

子育てって本当に大変だと常々思う。

 

お母さんは1人しかいないから。

 

お母さんは常に、時間と忙しさに追い詰められている。

 

きっと子どもたちも、そのお母さんたちも、家の中での顔と、保育園での顔とは違うんだろうな。

 

もっともっと、子どもに愛情が伝わるにはどうしたらいいかな。

 

気がつくと怒った顔で、怒った口調ばかりになってしまう自分をなんとかしたい。

 

 

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センスのない保育士

春、年度末。

 

来年度に向けて、職員の入れ替わりが次々とある。

 

その中で、自力で国家試験を受けて保育士資格を取得し、正社員希望で入ってきた職員がいた。

 

その社員、やる気はものすごくあり、明るくて朗らかな社員だったのだが、採用されて、試用期間の1カ月ほどで解雇になってしまった。

 

理由は、他の社員に嫌われまくってしまったから。

 

とにかく自分が正社員としてやっていくために、あらゆる情報が欲しいのか、皆にガツガツと言い寄って、必要以上にプライベートなことまで踏み込んでくる。

 

保育以前に、人格の問題だったという。

 

肝心の保育はと言えば、対応の仕方、どうしていいか分からないことなど、逐一周りに聞いてきて、一向に自分で考える気配がない。

 

周囲は、教えてあげても良いが、同じようなことを3回目になると、もううんざりしたと言う。

 

そりゃそうか。

 

イチイチ色んなパターンで聞かないと行動できないのなら、それはもう、保育のセンスが無いということとみなされてしまった。

 

きっと本人は、腑に落ちないだろうが、仕方ない。

 

この先の負担を考えると、保育園的にも、負担になると思ったのだろう。

 

とにかくやる気があればいいっていうものでもないんだなぁ…と思った。

 

確かに、保育はセンスというものが問われる時がある。

 

誰にでもできるかと言えば、やはりそうではないだろう。

 

まず、園児の気持ちに寄り添えること。

 

これからできないとなると、かなり厳しいと思う。

 

指示ばかりする保育士もいるが、従わない子どもはもちろんいるもので、そうなればなるほど、その保育は苦しいものになるだろう。

 

保育は本来、子どもたちと一緒に生活することだから、楽しさがあるもので、大人が一方的に指導するものではないと私なんかは思う。

 

何十人をまとめるのが大変ということも、もちろん分かるけれど…。

 

とにかく、その保育士は、保育にしても、人間関係にしても、センスがなかったということで、去っていってしまった。

 

そんなこともあるんだなー、と、台風一過のような気持ちで今、思い返している。

 

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